週刊少年ジャンプ(2022年26号)のインタビュー
ロック界の大御所!アジカンとASIAN KUNG-FU GENERATIONがジャンプに見参!!結成時を振り返りながら、バンドに対する想いを明かす! 作ってきた音楽が僕らをここまで連れきてくれた ––––みなさんが大学の軽音楽部で出会う前、まずはそれぞれが音楽を始めたきっかけをお聞かせください。 喜多:高校3年生の頃に友達の影響でギターを始めました。ブルーハーツをコピーしたり簡単なコードで曲を作ったりするのが楽しくて、大学でも軽音楽部に所属しようと決めていました。 山田:僕がプレイヤーに興味をもつようになったのはビートルズの音楽を聞くようになってからかもひそかに楽器への憧れを抱きながら、実際にプレイするようになったのは高校生の頃。選択授業で音楽を選択していたんですけど、ギターを弾ける子がたくさんいたんです。乗り遅れた!と思って、家にあったアコースティックギターを手にとりました。 後藤:だから大学の時、演奏できる楽器に “AG”と書いていたよね。 山田:そう。だけどギターはバンドの花形だから人気だったし、そもそもアコースティックギターが弾ける人材をバンドに求めている人はいなくて(笑)。一応、ベースもかじってはいたので、ベーシストとして今のバンドに入りました。 伊地知:僕は中学生の頃、マーチングバンド部で小太鼓を担当していました、マーチングバンドは歩きながら演奏するので、バスドラムもシンバルも各人が担当するのが基本なんですけど、バンドのドラマーは全ての打楽器を一人で演奏するじゃないですか。かっこいい、と思って。ドラムセットを叩くようになりました。 後藤:僕も中学生の頃にブラスバンド部で小太鼓を担当していたけど、発表会当日にタンバリンに左達されたよ···。だからうらましい、小太鼓。それはそれで、僕が本格的に音楽を始めたのは浪人生の頃でした。ただギターに初めて触れたのはもっと前中学生の頃にユニコーンが好きでアコースティックギターを弾いてみたものの、弦を弾くたび指がちぎれるんじゃないかと思うくらい痛くてやめてしまって。だけど大学受験に失敗して予備校に通っていた頃、友達からオアシスの「スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ」と、ティーンエイジファンクラブの「バンドワゴネスク」と、ベックの「ルーザー」のCDを借りたんです。この3枚を聴いて、思っちゃったんですよ、もう一度やってみたいと。それから質屋へエレキギターとアンプを買いに行って。エレキギターは弦が柔らかいので指が痛くなることもなく、続けることができました。 ––––曲作りを始めたのも、同じ時期ですか? 後藤:そうですね。TVでオアシスのノエル・ギャラガーが「ワンダーウォール」を弾き語りしているのを観た時に、指が単純な動きしかしてないことに驚いて。録画した映像を繰り返し観てみたら、すごきシンプルなコード進行で構成されていることに気づいたんです。これなら自分にも曲が作れるかもしれないと、制作意欲が湧いたのが始まりでした。 音楽を作っているのは誰かに聴いてもらいたいから ––––それぞれに音楽を始めるきっかけがあったように、プロを目指すようになった転機はありますか? 山田:ゴッチが大学の外でもライブをしようと連れ出してくれたのが大きかったと思います。 後藤:誰かに聴いてもらいたくて自分たちで曲を作っているのに、友だちの前だけで演奏していたら意味がないじゃないですか。広がりがない。 山田:だから大学以外でもライブをするようになって、経験を積んでいくうちに、どんどん意識が世界へ向いていったんじゃないかな。 喜多:僕はプロになる野心があまりなくて、ゴッチと山ちゃんについていく感覚でしたね。大学卒業後は音楽とは全く関係のない業種に就職して、すぐにはバンドで食っていくと決めきれなかったし。 後藤:当時「あんまりアジカン好きじゃない」って言ったことあったよね。悲しくて、泣きながら山ちゃんに電話したもん。 山田:「そんなこと言う?」ってね。 喜多:···そんなこともありましたけど(笑)、でも根っこではアジカンを信頼していたというか。やっぱりアジカンの曲が好きで、演奏していて楽しかったから、仕事をやめてバンド一筋になれたと思う。だから個人的には、時間をかけてプロへの自覚が芽生えていきました。 ––––最近の話動についても伺わせてください。最新アルバム「プラネットフォークス」の中でお気に入りの一曲を挙げるとすれば? 後藤:暗い曲ではありますが「De Arriba」が好きです。“街明かりが 互いの顔を照らして温もりや冷たさを取り戻して”という歌詞は、よく描けたなと思います。 ––––どういったところに「よく描けた」と感じますか? べつに取り戻すのが “温もりや冷たさ”じゃなくて、たとえば”優しさ”でもいいわけですよ。でも何かを照らした時、光が差すと同時に影ができるじゃないですか。物事も同じで良いことだけでは成り立たなくて、良いことと同じだけ悪いことがあって成立していること思うんです。”冷たさ”がわかってやっと”温もり”もわかるというか。相反するものが共存しているイメージを、うまく表現できました。 ––––なるほど。影が濃い分、光はより輝きを増しますね。 後藤:そうなんですよ。「NARUTO」でいうところのナルトとサスケの関係みたいなね。ジャンプ作品のタイアップ曲を何度が作らせていただていますけど、僕らの音楽はそういう光と闇をしっかり描くところに、少年漫画との親和性があるのかもしれない。 ––––後藤さん以外のみなさんは「プラネットフォークス」の中で、気に入っている曲はありますか? 喜多:わりと好きなのは「再見」。生きていることを肯定してくれる感じが頼もしくて、孤独を感じている子がいたら、聴いてみてほしいなと思います。 一緒に音楽ができる仲間と出会えたことがバンドの財産 ––––「再見」には “そうだろう?”という歌詞がありますが、全体的にリスナーへ問いかけてくる表現が多いように感じました。 後藤:たしかに、1曲目の「You To You」でも “それで良いんだろうか”と歌っていますしね。歌詞はおもしろいもので描き終えると作詞者のもとから離れて、僕も一人の読み手に変わるんですよ。だから聴いてくれに人に向けてというより、自分に対する問いかけでもあります。 ––––貴重なお話をありがとうございます。最後に、25年以上も同じバンドを続けきて、よかったと思うことを教えてください。 後藤:曲が売れたとか大きな会場でライブができたとか、いわゆり成功と言える経験もしてきましたけど、そうじゃない。25年もの活動の中で一番よかったって思うのは、一緒に音楽ができる仲間と出会えたことです。綺麗事を抜きにして、すごいことだと思うんですよ。しかも25年も続くなんで奇跡みたいなもんで。もちろんお互いに厳しくなったこともあるし、不満に思う瞬間も多々あったと思う。結成10年目なんて大時化でしたよ。揉めるビール。でもどんな荒波も、一緒に乗り越えることができた今では、全部ひっくるめて宝物です。これから先、何か起こったとしても、メンバーと生涯友達だと思う。 ––––かけがえのない関係ですね。このメンバーで乗り越えることができた理由はどこにあると思いますか? 後藤:困難を波と例えるなら、作ってきた音楽が僕らを運ぶ船になってくれたんじゃないかな。良い音楽を作りたい気持ちは、つねにみんなの中にあるから。その想いが最後まで俺たちの支えとなって、沈むことなくここまで進んでこれたのだと思います。 ASIAN KUNG-FU GENERATION’s Recommend 後藤正文 『感受性応答セヨ』eastern youth 僕がギターを掻き鳴らしたいと思った理由が詰まっている1枚、邦ロックの素晴らしさがわかると思う。物足りなさを感じている人にぜひ聴いてほしいです。 喜多健介 『Weezer』Weezer (The […]